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グッピーが世界にはじめて紹介されたのは1850年頃といわれています。正式の発見者はイギリスの植物学者レクメア・グッピー氏です。彼は南米のトリニダードへ植物採集に行き、池や川に生息している小さな魚をイギリスに持ち帰りました。そして、大英博物館の館長ギュンテル博士によってジラルジナス・グッピーと命名されました。しかし実際にはその数年前にポエキリア・レティキュラータという学名を付けられていたようです。
イギリスではポピュラーにならなかったこの魚は、ドイツの輸入業者であるカール・シゲルコフ氏により1908年12月にベネズエラの港町・ラグアイアから25匹のグッピーが輸入されました。これらのグッピーは、ドイツの観賞魚雑誌にヨハン・ポール・アーノルド氏によって紹介され、興味の対象として見られるようになりました。
1年後には、イギリス人のJ・A・M・バイパン氏の手によってバルバトス・ベネズエラ・トリニダードから新しく3種類のグッピーがドイツに持ち込まれました。そして1910年、ハンブルグのセイデル氏が最初の突然変異体・ソードテールグッピーに関する記事を自身のクラブの雑誌において発表しました。しかし、本当のダブルソードグッピーが発表されるのは1928年のライプチヒのロシェ氏の発表を待たねばなりません。
ドイツのグッピーは1910年代からグッピー賞の気運が高まり、1920年にはライプチヒのグッピークラブにおいて最初のポイント制があみだされ、1930年代までにはドイツ国内各地の多数のクラブにおいてももちいられるようになっていった。さて、この頃日本にもいくつかのワイルドタイプのグッピーがアメリカのGIや船員によって缶詰や小さなケースによって少量づつ持ち込まれました。
アメリカに関しては、はっきりとした年代は分かりませんが、1940年頃からグッピーブームが始まりました。元になった魚はワイルドタイプではなく、ヨーロッパから持ち込まれたようです。そして、今のショーグッピーの基本であるデルタテールはこの頃ポールハーネル氏によって作出されたようです。
タキシードにかけては1963年から1964年にかけてニューヨークのブリーダー、フレッドサムエルソン氏が公式に発表しました。その後、マック・カリクスティン氏やジャノ・カルディロ氏により、体の4分の3が黒く、胸のあたりが見慣れない模様の個体を選び出したようです。彼らは、この原型をポール・ハーネル氏から入手したようです。
もっともヨーロッパとアメリカの歴史を照らし合わせると、ハーネル氏がヨーロッパからタキシードの原型を持ってきたと予想されます。ちなみに、日本でいうドイツイエロータキシードは1960年代後半にドイツのゲオハルト氏によって固定され、コンテストで発表されました。一方、ニューヨークで作出された個体はあらゆる系統と交配やインブリーディングが重ねられ、いわゆるキングコブラが作出されたのである。その経緯については、アメリカの観賞魚雑誌(トロピカルフィッシュホビースト)の1965年5月号に詳しく掲載されている。
また、アルビノグッピーについては1941年にアメリカのアッブス博士によって最初につくられたようです。この後経済の発展によりアメリカ、日本、ドイツを中心としたヨーロッパでグッピーはそれぞれの品種を固定しながら、独自の道を歩んでいきました。アメリカではデルタを中心にアマチュアを中心としたショーグッピーとして普及し、ヨーロッパではソードテールを中心として同じくアマチュア主体のショーグッピーとして普及しました。しかし、日本では世界にも稀な国産グッピー専門店の出現によりその種類は他国に類を見ないほどバラエティにとみ、コンテストのみならず一般の人にも知られるほどポピュラーになりました。
ながらく、鎖国状態であった世界のグッピー事情ですが1996年に大阪で行われたワールドグッピーコンテストにより世界の有名なブリーダーが顔を合わすことになり、またインターネットの普及により急速に世界のグッピーが一つに溶け合うことになりました。今や世界中のグッピーが日本でも見られるようになり、いくぶん供給過多の状態ですが今後は多くのブリーダーにより更に種の固定、向上が行われ更に良い魚が作り上げられていくことでしょう。21世紀を迎えてグッピーマニアの1人として、このかわいい魚グッピー達がアジア・南米・東欧・アフリカなど世界各地に広まっていくのを願っています。
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